ラオスのすべての世界遺産を巡った筆者がその魅力をお伝えします☆

【ラオスの世界遺産】シエンクワーン県ジャール平原の巨大石壺遺跡群‐(2019年登録)

ラオスの世界遺産 巨大石坪遺跡郡の概要

・概要

筆者撮影

ジャール平原の巨大石坪遺跡群は関連の研究論文や資料が少なく、まだまだ解明されない謎の多い遺跡です。

ここでは、遺跡群site1に併設されたVisitor Centreとシエンクワーン県の県庁所在地であるポーンサワン市にある県立博物館の展示、そしてポーンサワン市ツーリストインフォメーション職員の説明に基づいて遺跡の概要を紹介します。

巨大な石をくり抜いた巨大石坪遺跡は紀元前5世紀から西暦5世紀までの間に造られたもので、シエンクワーン盆地に広く散らばっています。

現在までに85箇所(site)、合計約2000個の巨大石坪が発見されていて、土地開発の進むラオスでは今後も更に多くの石坪が発見されていくことが予想されます。

・巨大石坪は何に使われていたのか

筆者撮影

大量の人骨や副葬品が巨大石坪の中や周囲から発見されていることから、石坪がお墓として使われていたことはほぼ間違いないようです。

巨大石坪の周辺から人骨の入った骨壷や直接土に埋められた人骨が多く発見されています。このことから、巨大石坪は遺体を一時的に保存するために用いたと推測されています。

遺体が巨大石坪の中で白骨化すると、これを骨壷に入れて埋葬する、あるいは直接土に埋葬して石蓋をしたようです。

site1にある最大の石坪は高さ3.25メートル、直径3メートルもありますが、平均的な石坪は高さ1.2メートル、直径1メートルほどと思われます。

巨大石坪は誰が使っていたのか

筆者撮影

巨石文化が形成されたのは紀元前5世紀から西暦5世紀前後と考えられており、タイ語系のラオ族が中国雲南省から現在のラオス域内に移動する前になります。

巨石文化の担い手は、ラオスの先住民族であるオーストロアジア諸語モン・クメール語に属する民族であると言われています。

シエンクワーン県に多く住むモン・クメール語族のクム族は、ラオスでラオ族の次に人口が多い先住民族です。

遺跡文化の担いても、クムの人々の容貌に近しいことが想像されます。

・中国からの侵略や米軍の空爆で破壊された世界遺産

筆者撮影

今でも遺跡の周りには無数の爆弾によるクレーターが残っています。

第二次インドシナ戦争で史上最大規模と言われる米軍の空爆を受け、シエンクワーン県の巨大石坪の約30%が破壊されてしまいました。

また、1865年~1890年にかけて中国系のホー族の襲撃を受け、109個の石坪が破壊されたという記録が残っています。

世界遺産に登録されたことで、これ以上の破壊が免れることを心から願います。

・遺跡への行き方

筆者撮影

巨大石坪遺跡を効率よく見学するには、シエンクワーン県の県庁所在地であるポーンサワン市の旅行会社かツーリストインフォメーションのツアーに参加するのが一般的です。

ビエンチャンからポーンサワン市まで飛行機を使えば片道100ドル前後、所要時間は約30分です。ラオス航空が毎週月、水、金曜日に運行しています。

ビエンチャンからポーンサワン市に向かうバスは毎日運行していて所要約10時間です。途中、反政府軍の活動エリアを通過するため、ビエンチャンのツールストインフォメーションで危険がないか事前確認をしましょう。バスを使う場合は、ホテルやゲストハウスまで徒歩数分で行けるプーラムガーデンバスターミナルに到着するバスを選ぶと便利です。

・ルアン・パバンから1泊2日のツアーを利用する

筆者撮影

ルアン・パバンから車で訪れる1泊二日のツアーに参加すればラオスの世界遺産が一度に2箇所見ることができます。

ルアン・パバンからシエンクワーンに向かうには国道13号線から国道7号線に抜ける道を走ることになります。

途中、クム族やモン族が暮らす多くの集落を通り過ぎるので、いくつかの村に立ち寄って生活風景を見ることができます。

興味のある方はルアン・パバン市シーサワンウォン通り(Sisavangvon Rd.)にあるJEWEL TRAVELに相談してみましょう。

https://jeweltravellao.com/

ラオスの世界遺産があるジャール平原の概要

・ジャール平原にあった王国の風景

筆者撮影

シエンクワーン県は広い盆地になっていて、ポーンサワン市を始め多くの町は海抜1000メートル以上の場所に位置し、高原の清々しい気候に恵まれています。

丘陵に囲まれた田んぼを耕す水牛といったアジアの原風景がポーンサワン市の中心部でも見られます。

ラオスの大都市や古都であるビエンチャン、サワンナケート、パクセー、ルアン・パバンは全て10世紀以降にメコン川沿いに発達しています。

医療・衛生が未発達の近代以前は、高温多湿のメコン川沿いのエリアは瘴癘の地(マラリア蔓延地帯)と恐れられ、必ずしも人間の生存に最適な環境とは言えない場所でした。

シエンクワーン県はベトナムや中国に抜ける交通の要衝に位置し、人間の生存に適した高原の気候に恵まれ、紀元前からラオスの他の地域には見られない独自の巨石文化が栄えました。

13世紀になるとシエンクワーン県にプアン王国が興りました。ラオ・タイ語系のプアン族が建てた王国です。

小国ではありましたが、ランサーン王国やベトナムのフエ王朝に朝貢したり、タイの属国になったりしながら20世紀まで王国として存在し続けています。

プアン王国は巧みな外交によって幾多もの困難を乗り越えたのでしょう。

・ジャール平原に暮らす民族

★プアン族(ラオ・タイ語族)

筆者撮影

ラオ・タイ語族に属し、プアン王朝を築いた民族です。シエンクワーン県の人口の半数を占めています。

★クム族(モン・クメール語族)

筆者撮影

ラオスの先住民族であるクム族は巨石文化の担い手であった可能性の高い民族です。

クムの人々はラオ・タイ語族が台頭するとカー(奴隷の意)という別称で呼ばれるようになりました。

カーと呼ばれる先住民は、昔はラオ族をみかけると道の端に避けて頭を下げて跪いて見送ったと言われています。

革命後は少数民族もラオスを支える重要な国民という教育が普及していますが、ラオス自体が貧しいため、少数民族の教育・医療は低い水準にとどまっています。

★モン族(モン・イウミエン語族)

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モン族はラオスで3つめに人口の多い民族で、ラオスの政界や財界でも多くの人が活躍しています。

19世紀の半ば以降になって中国からラオスの北部山岳地帯に多く移り住むようになりました。

内戦時、米軍に協力して特殊部隊を構成し人民軍と戦ったため、敗戦後は多くのモン族がアメリカなどに移住しました。

また、極一部の人は反政府軍として現在でもラオス各地で軍や一般人を襲撃しています。

参考
https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcterror_020.html

ラオスの世界遺産があるポーンサワン市のツーリストインフォメーション

・インフォメーション主催のトレッキングツアー

筆者撮影

空港から市内に向かう途中にあるツーリストインフォメーションでは遺跡、少数民族、自然観光に関する多くの情報が得られるので寄ってみましょう。

Xieng Khouang Phonsavan Official Tourist Information Center
Anfa Road Xieng Khouang Province, Phonsavan 0900 Laos
+856 61 312 217

ここでは、400以上の‘巨大石坪が見られるPhakeo遺跡とモン族の村ホームステイ、滝での水遊びをセットにした1泊二日のトレッキングツアーを主催しています。

ツアーは2人~10人で催行され、料金は一人85ドルです。

・ガイドのブンミーさん

筆者撮影

シエンクワーン県出身のブンミーさんは遺跡など現地の情報に明るく、仕事熱心な勉強家というイメージを受けました。まだまだ発掘途上の石坪遺跡に関して最新情報を知りたい方は訪ねてみてください。

Mr.Bounmy PIMMALA
TEL:856-20-55559760
E-mail:bounmee-PS@yahoo.com

・ツーリストインフォメーションで見れるクラスター爆弾の展示

筆者撮影

インフォメーションカウンターのある室内で少数民族や巨大石坪遺跡に関する展示が見られます。

また、建物の裏手には実際に使われたクラスター爆弾が、ツーリストインフォメーション職員の工夫により、分かりやすく展示されています。

次はルアン・パバンの街を紹介します。

ラオスの世界遺産 ルアン・パバンの町 – (1995年登録)

ラオスの世界遺産 ルアン・パバンの町で見たい建物

・世界遺産登録の理由

筆者撮影

1995年にルアン・パバンの街が世界遺産に登録された理由は、「建築物と自然環境との調和的関係」と「ラオスの代表的建築物と19~20世紀フランス式都市構造との融合」の二点について価値が認められたからです。

メコン川とナムカーン川に囲まれた旧市街エリアが保護地区に指定され、33の寺院と443(現在は500以上に増加)の世俗的建造物(庁舎、病院、ホテル、民家を含む)が保存建物として指定されました。

世俗的建造物は「ラオスの伝統家屋」「フランス植民地時代の洋風建築物」「フランス植民地時代にベトナムから流入した華人が建てたショップハウス(中国風商店)」の三種類に大きく分けられます。

保護地区で新たに建築物を建てるときは必ず上記3種のうちのいずれかの建築様式を忠実に模した建物でなければならず、監督機関による厳しいチェックがあるようです。

保護地区内には指定建築物と、後から建てられた模造建築物が混在しているので、注意が必要です。

保護地区にはエリアごとに指定建物を写真で示した看板が立てられているので、街を歩くときは参考にしてみてください。

・ラオスの伝統家屋

筆者撮影

ラオスの伝統的木造高床家屋と、フランスの影響を受けて床下部分をれんがモルタル作りにした2階建ての家屋に分かれます。

木材や竹の皮を資材に建てられているので、老朽化しやすく最も保存が難しい建築物です。

理想的な状態を保っている指定建築物は限られているのか、街を歩いていても滅多に目にすることはできません。

チャオファーグム通りの北側に広がるゲストハウス街では、ラオス伝統建築の要素を取り入れたゲストハウスが多く立てられています。

このあたりに宿泊すれば風通しの良いラオスの伝統家屋の快適さを体感することができるかもしれません。